人の希望はわかるのに、自分が何をしたいかわからないとき

人に合わせられることは、自分の好みがないことと同じではありません。自分の希望を確かめるのが、いつも相手の希望を聞いたあとになっているだけかもしれません。

夕食の希望を聞かれ、ほかの人が待つなかで自分の答えを考える人。

こんな思いを抱えている方へ

相手の希望ならすぐ考えられるのに、自分が何を望むかを聞かれると答えに詰まりやすい人。

この記事で考えられること

ほかの人の答えを聞く前に、自分の暫定的な好みを一つ確かめ、そのままにするか、変えるか、折り合いをつけるか、譲るかを選べるようになります。

人のことなら答えられるのに、自分のことになると詰まる

4人で、どこに食べに行くかを決めているとします。

一人は「安いところがいい」。別の人は「遠くまで行きたくない」。もう一人は「落ち着いて話せる店がいい」と言っています。

こういうときは、すぐ考えられます。みんなの条件を聞いて、比べて、合いそうな店を提案できます。

ところが、そこで聞かれます。

「で、あなたは何が食べたい?」

すると急に、答えるのが難しくなる。

一人でいるときにも、似たことは起こります。やっと自由な夜ができて、誰からも何も求められていない。できることはいくつもあるのに、どれを選びたいのかがはっきりしません。

そんな瞬間が続くと、つい大きな結論にしてしまいます。

自分は、何がしたいのかわからない人なのかもしれない。

でも、その結論は少し広すぎるかもしれません。

人のことをよく考えられることと、相手に合わせる前に自分の好みを確かめる機会が少ないことは、同じではありません。

この違いがわかると、次に必要なことも変わります。

変えるのは、大きなことではありません。

  • 人への配慮を減らす必要はありません。
  • 「人生で本当に何がしたいのか」という大きな答えを、いきなり見つける必要もありません。
  • まずは、ほかの人の答えを聞く前に、自分の暫定的な好みを一つ確かめるところから始められます。

相手に合わせることも、自分で選んだ結果になり得る

友人が「イタリアンがいい」と言ったとします。

少し考えて、あなたはこう思います。

今日はタイ料理のほうが気分だけど、イタリアンでも十分うれしい。

そして、イタリアンに行くことにします。

これは、自分で選べなかったという意味ではありません。

自己決定理論では、自律性(autonomy)と独立性(independence)は同じものとして扱われません。Ryan と Deci は、自律的な行動を、自分自身がその行動に納得しているかという観点から説明しています。また、外からの影響があっても、それだけで自律性が失われるわけではないと述べています。2006年の論文でも、自律性は独立性と同じではないと明記されています。

だから、確かめたいのは、

「結局、相手の希望どおりになったか?」

ではありません。

それよりも、

「同意する前に、自分はどうしたいのかを一度確かめたか?」

です。

同じ一言でも、違いがあります。

「イタリアンでいいよ。」

一つ目は、先に 自分ならタイ料理を選ぶ。でもイタリアンでも本当に構わない とわかっている場合です。

もう一つは、「イタリアン」と聞いた瞬間にそのまま合わせて、自分がほかに何を食べたかったのかを一度も確かめない場合です。

外から見える結論は同じです。

違うのは、最初のケースでは、自分の好みも判断材料に入っていることです。

つまり、目指すのは「人に合わせない人」になることではありません。自分の答えも、ちゃんと選択肢の中に入れることです。

好みを知るのに、人生の答えはいらない

「自分は人生で本当は何がしたいんだろう」と考えると、かえって難しくなることがあります。

仕事、人間関係、お金、住む場所、時間の使い方、まだわからない将来まで、一つの答えにまとめようとする問いだからです。

自分の好みは、もっと小さな場面のほうが見つけやすいことがあります。

意思決定研究でも、あらゆる好みが、最初から完成した答えとして存在すると考えることには注意が必要だとされています。Payne、Bettman、Schkade は、価値を尋ねられたときの多くの「選好の表明」は、固定された値を取り出すというより、答える過程で形づくられると論じています。1999年の論文では、この「constructed preferences(構成される選好)」という考え方が説明されています。

この研究が扱っているのは、意思決定や価値判断の場面です。すべての好みがその場で作られる、という意味ではありません。ただ、日常の選択をする前に、「どこかに隠れた、変わらない答え」を必ず見つけなければならない、と考える必要はないことを示す一つの材料にはなります。

たとえば、

人生で何がしたい?

と考える代わりに、小さな分かれ道を見てみます。

思いがけず、2時間だけ自由な時間ができました。

家にいる? 外に出る?

今日は家にいたい。

何かを見る? 何かを作る?

見るより、作るほうが少し気になる。

役に立つことをする? ただ楽しいことをする?

今夜は、楽しいほうがいい。

こうした答えから、「本当の自分」を決める必要はありません。静かな夜が好きだったからといって、そこから性格診断のような結論を出さなくていいのです。

やっていることは、もっと単純です。

その場で、自分がどちらを選びたいと感じるのか。その情報を少しずつ集めています。

そして、ときには本当に、

どっちでもいい。

という答えになることもあります。

それも有用な情報です。すべての小さな選択に、強い好みを無理につくる必要はありません。

相手の答えを聞く前に、自分の仮案を一つ持つ

いちばん実用的な変化は、いつもより数秒だけ早いところで起こります。

相手に「どうしたい?」と聞く前に、自分の答えを一つだけ仮に置いてみます。

要求ではありません。

最終決定でもありません。

ただの出発点です。

「もしほかの人に特に希望がなければ、私はまず ___ を選びたい。理由は ___ だから。」

たとえば、

「もしほかの人に特に希望がなければ、今日は近くの静かな店がいい。疲れているし、ゆっくり話したいから。」

そこまで考えてから、相手の希望を聞きます。

相手は「街の反対側にある、にぎやかなイベントへ行きたい」と言うかもしれません。

ここで初めて、相手の希望と自分の希望を並べて考えられます。

相手にとってそのイベントがかなり大事で、自分の希望はそこまで強くない。そうわかったうえで、今回は一緒に行くことを選ぶ。

反対に、今日は本当に疲れていて、静かに過ごすことのほうが大事だと気づくかもしれません。その場合は、

「私は今日は静かなところが第一候補かな。そのイベントは別の日なら行きたい。」

と言えます。

あるいは、二人とも納得できる第三の案が見つかるかもしれません。

大切なのは、最初の希望が通ることではありません。

自分が何から変更したのかを、自分でわかっていることです。

仕事でも同じです。

いきなり「どの作業を私が担当しようか?」と聞く前に、

会議の調整役より、分析の作業を担当したい。

と、自分の希望を一度確かめます。

話し合った結果、チームの事情を考えて調整役を引き受けることもあるでしょう。それでも今度の「どちらでも大丈夫です」は、みんなの希望がそのまま自分の希望になったという意味ではありません。

自分の希望を確認したうえで、合わせることを選んだ、という意味になります。

この区別だけでは足りないとき

自分の希望を言葉にできても、実際には選べる余地があまりない場面もあります。

たとえば、上司が勤務時間を決める立場にいるなら、「私はこう働きたい」とわかっただけで、その力関係がなくなるわけではありません。家族の事情、お金、安全、健康などの条件によって、選べる範囲が狭くなることもあります。

そういう場面では、自分が何を望んでいるかわからないことと、望んでいることを実現できないことは、別の問題です。

この区別は役に立ちますが、現実の制約まで消してくれるわけではありません。

また、ある選択について本当にこだわりがないなら、相手に決めてもらっても問題ありません。

目的は、何に対しても強い好みを持つことではありません。

自分の答えも、選択肢の中に残しておく

人に合わせることをやめる必要はありません。

順番を少し変えるだけです。

まず、

まだ誰の答えも聞いていなかったら、自分はどちらを選ぶ?

と考えます。

そのあとで、相手の話を聞く。

そして、自分の希望のままにするのか、変えるのか、折り合いをつけるのか、今回は譲るのかを決めます。

使いやすい一言は、これです。

「私はまず ___ がいいかな。でも ___ も考えられるよ。」

自分の希望は見える。でも、相手の余地も残っています。

人生全体で何がしたいのかを完全に答えられなくても、今夜どちらを選びたいかなら、わかることがあります。

まずは一つ、暫定的な答えがあれば十分です。